『後悔1』

2008年5月10日 後悔
だって何も知らなかった
何も覚えてはいなかった



 かなり本が増えてきたので、神殿に戻ってきた。本の収集以外にあまり目的もないからか、旅を続ける気力もそれほど沸かない。目的の消失というのは、思っていたよりだるいものだったようだ。
 世間知らずな子供を連れ歩くのもなかなか面倒だし、何より飽きてきた。別に神殿で暮らしてもいいのだが、毎日リムドを筆頭とした馬鹿共と顔を合わせるのはうざい。そもそも、俺が旅をしていたのも、奴らと会話したり関わったりするのが非常に面倒であり、嫌だったからだ。
 茶を飲みながらそんな話をすると、イルが提案した。
「それなら、リィンにやってもらいたい仕事があるんだ」
「仕事?」
「そう。この間、新しく作った役職。適任者がいなくて困ってたんだ」
 新しい役職か。確か文献などによると、神殿に新たな役職を作り出すというのは、それなりに大きな事だったような気がするのだが、それにしては、あまりにあっさりとしていないか。
 まあ、いいか。こいつは普通ではないのだから。
「どんな仕事なんだ? 簡単に言え」
「簡単に言うと、本の収集」
「なら詳しく話せ」
「了解。図書館の本は、基本的に各国に寄贈してもらってるんだけど、内容とかの問題で、図書館に置けない本が欲しいって子達もいるんだ。ほら、利用者は少ないけど、一応ここの図書館って一般にも開放してるし年齢制限とかもないから結構規制があるでしょ?」
「そういえばそうだったな。で、依頼したのは学者達か?」
「学者の子達も多いけど、料理人の子達もいるよ。レシピ関係の本が少ないからって。あと、戦士の子達は指南書とか兵法の本が欲しいとか。そんな時の為にと思って、関係者以外には公開しない図書館を作ろうかと」
「リムドが反対したんじゃないか?」
「頑張って説得した」
 それは、イルにしてはよく頑張ったと言えるだろう。
「場所はどうするんだ? 空き部屋でも使うのか? それなりの量は置けるだろうが、その調子だとかなり多くなるんじゃないか?」
「ああ、一昨日作った」
「……作った?」
「そう、図書館の奥に。でも、図書館の半分くらいの大きさなんだけどね。ついでだから、前から要望があった談話室も隣に作っておいた。本について討論したいって子が、前から結構いたから。どのくらいいるかわからなかったから、とりあえず新しい図書館と同じくらいの大きさで。足りなかったら、大きくすればいいし」
「建物を増設した……という事か」
「そう。流石に昨日一日ずっと眠くなっちゃったけど」
 神殿は他の建物と違い、神殿長の『力』によってのみ、造られる。大工の出番はない。
 神殿長の『力』の中で、最も代表的で最も重要とされているのがその『創造の力』だ。かつて世界を創造したという神の、力の一部分を受け継いでいる、という事の象徴であるらしい。制限も多いが、馬鹿みたいに敬っている連中にとっては、そんな事は別にどうだっていいのだろう。
 増設や改築も可能だが、何かを『造る』のだから、当然その消耗は大きい。イルは面倒がって先代の神殿を少し改築しただけで、後は殆どそのまま使っているが、権威を示す為なのか自分で一から造る神殿長は多く、完成後はその反動で、暫く眠りにつくらしい。イルが改築した箇所の一つである図書館は、かなりの大きさを誇る。その半分とはいっても、それなりの規模だろう。それを二つという事は、図書館を新しく造り直したようなものだ。それだけの事をしながら、一日眠気が襲ってくるくらいで済んだ、と。
 イルは神殿長としての『力』が非常に、いや異常に高い。その事を知ってはいたが。
「お前の無駄な才能がようやく活かされたな」
「無駄なんて酷いなぁ」
「無駄だろ。信仰心は人一倍低いくせに」
「神様は信じているよ? よく遊びに来てくれるし」
「そういう意味じゃない。で、仕事ってのは、要望のあった本を買いに行くって事か?」
「大雑把に言えばね。国の代表者のみんなには、もう許可を貰っておいたし」
「珍しく能動的に動いたな」
 イルは、普段は義務しかこなさない。妙なイベントをやりたがる事もあるが、それは神殿の中だけで軽く行うくらいで、こういった大掛かりな事は滅多にやらない。『神殿長』として動くのが嫌だからだそうだ。
「俺も欲しい本があって。それに、リィンにもあるだろうなって思ったから」
「しかし、具体的にはどうやるんだ?」
「それは……あ、でもその前に、ハザードはどうする? リィンと同じの方がいい?」
「断る。適当に修行でもさせておけばいいだろう」
「その言い方はともかく修行っていうのは良いかもね。誰かに頼もうか。……えっと、教えるなら確か武器が同じ方がいいんだっけ……あ、ハルに見て貰おうか」
「ああ、あいつか」
 神殿に所属する者で、ナイフや短剣を主要な武器として扱う者は少ない。俺やブライトのように補助武器として持つ者もいるが、やはり多くはない。ハルという男は、その意味では希少な人物だ。腕は確かで、性格はおおらかというより大雑把で、細かい事は気にせず、誰にでも同じ調子で接する。ブライトとは気が合うらしく、よく二人で武器談義をしているのを見かける。
「ハルは子供好きだし、ハザードとも相性がいいと思うよ」
「あれは幼児みたいなものだからな。何度か会わせればなつくだろう」
「酷いなぁ」
 ふと、思い出した。
「フィアスはどうするか、考えてなかったな」
「フィアス? もしかして、ハザードの中にいる、あの?」
「ああ。『魔物』だ」
「そっか。『魔物』だったら、神殿なんて嫌いだろうしね。仲良くなれないかな?」
 気にするのはそっちなのか、この能天気が。
「仮にお前一人が親しくなったところで、どうにかなると思うのか?」
「やっぱりみんなが仲良くっていうのは厳しいかな」
 どこまでお人好しなんだ。
「無理だな」
「というか、そもそもみんなと仲良くなる必要はないのか」
「急にどうしたんだ?」
「いや、だってリィンもみんなと仲良しってわけじゃないなと思って」
 言っている事は間違いではないし、『みんなと仲良し』なんて寒気がするが、何だか腹が立った。あんなガキと一緒にされてたまるか。
「そういう問題じゃない。人間とは勝手が違うだろうが」
「そう、かな」
「当たり前だ。ハザードをここに置くとしても、フィアスは隠しておく必要があるな。発覚したら面倒だ」
「隠すって……」
「奴は、元々人前にはほとんど出ていない」
 だからそう難しくはないだろう。
「……わかった。俺もちょっと話してみたかったんだけど」
「別にお前や俺の前なら出ても構わないだろう。お前は気にしないだろうし」
「それなら、話せる?」
「お前の前で出てくればな」
「……やっぱり、『神殿長』なんて嫌いかな」
 イルはそう言って、目を伏せた。いつもどうでもいい事ばかり気にする奴だ。
「何故今まで会った事のない奴を気にするんだ?」
「確かに会った事はないんだけど、感じた事はあるんだよ」
 俺は黙ってイルを見た。
 神殿長の数ある能力の中に、相手の思念や記憶を感知するというものがある。イルはこの能力を使おうとはしないが、時々自然に感知してしまう事があるらしい。
 だがこいつの場合、それだけではないだろう。
「で、どうだったんだ?」
「俺には……」
 イルは一度言葉を切り、困ったような顔をした。
「……俺には、小さな子供にしか思えなかったんだよなぁ」


何もかも忘れてしまった
理由も原因も何もかも
たった一つ、結論だけを残して

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