『小話集〜私立向日葵学園編〜』
2008年5月17日 ショートショート?井上くんと岡本くん
入学したばかりの頃、井上誠一にとって、岡本秋は苦手な人物だった。まず見た目が怖い。目立つ橙色の髪に、友好的な人間だと思うには少々きつい目つき。制服を着崩してアクセサリーを身に着ける姿は、いかにも不良生徒、といった感じだった。
昔から髪の色素だけが薄く、黒髪の集団の中では目立つ存在だった誠一はこういう『悪そうな』生徒に絡まれることがあり、自然と警戒してしまうのも無理のない事だった。そんないかにも『不良』っぽい生徒がこのクラスには何人かいたが、まさか隣になるなんて、と誠一は己の不運を嘆くしかなかった。安易に出席番号順で座席を決めるという入学当初によくある方式をこれほど恨んだのは初めてだった。秋はそんな誠一を知ってか知らずか、彼に関心を払う事は無かった。
誰かに話しかけようかとも思ったが、まだ入学したてで友人と呼べるような生徒はいない。小学校の頃の知人もいない。いたとしても、それほど良い思い出は無いのだが。
それに、他にも怖そうな生徒はいる。変に動き回って目をつけられるよりはいいか、とおとなしく自分の席に着いたまま、早く担任の先生が来てくれる事を願った。教師に関してもあまりいい記憶は無いのだが、少なくとも教師の前で暴れたり絡んできたりする事は無いだろうと考えていた。それ以上の期待はしていないし、できなかった。
しかし、最初こそ不安だったものの、暫くして友人もできた。担任の水城先生は温和で、どことなく安心できるような人物だったのもあるのかもしれない。それでも、誠一にとって秋は怖い人物であり、話しかける事は無かった。
そんなある日の事、おとなしい友人、野村竜胆と話していると(話すのは主に誠一で、口下手な竜胆は時々相槌を打っているだけだった)、ガタン、と大きな音が教室に響いた。
「テメェ、ふざけてんのか!」
髪を赤く染め上げた戸部信一が進藤一姫に掴みかかっていた。その周囲に、先程の音源であろう倒れた机が転がっていた。
「シン、んな奴相手にすんなよ」
中野優太は、あまり止める気の無いような声で一応そう口にした。本気で止めるつもりではないと知っているからか、信一は全く反応を返さない。
「っせぇな! 不良に不良って言って何が悪いんだよ!」
頭に血が上っているのか、一姫も退く気配は無い。喧嘩になると咄嗟に思い、竜胆に下がるようにと小さく言った。他の生徒も同じ事を思ったのか、二人と他の生徒の距離が開いていく。だが一人、二人に近づいた生徒がいた。嫌でも目立つ橙の髪。二人の視線も、自然とそちらに吸い寄せられた。
「あ? 何だよテメェ?」
「喧嘩をするならよそでやれよ」
静かな、落ち着いた声。誠一は少なからず驚いた。これまで、秋の声を真面目に聞いた事は無かったし、何よりこれだけ落ち着いた声を出せるとは思っていなかった。一姫も虚をつかれたような顔をしていたが、信一は怯まなかった。
「何か文句あるのかよ?」
「当たり前だろ。ここは学ぶ場であり、争いを持ち込むべき場所じゃない」
信一が、ぽかんと口を開けた。その一瞬後、大笑いした。
「お前、面白いな」
一言そう告げて、一姫の襟から手を離した。先程の剣幕が嘘のような快活な笑みを浮かべて、自分の座席へと戻った。秋も何事も無かったかのように、その場から離れた。誠一は何気なく視線を移動させると、ガタイのいい生徒と華奢な生徒の傍に行ったのがよくわかった。秋は彼らと二言三言交わし、それから、穏やかな笑みを浮かべた。それを見て誠一は絶句した。それはあまりに誠一のイメージしていた『岡本秋』像とはかけ離れていた。
その日から、誠一にとって秋は苦手な存在ではなくなった。
?普川くんと三上くん
普川星夜は、自他共に認めるナルシストだ。美しいものをこよなく愛し、その対象は物だろうが生物だろうが構わなかった。そんな彼が現在注目しているのが、三上真人だった。真人は星夜と違い大変閉鎖的な人間で、幼馴染の森山光流以外に興味はなく、交友も無い。もしこのクラスで『付き合いづらい人間は誰か』というアンケートをとれば、きっとぶっちぎりで一位に違いない。だが本人はそんな事は気にしていなかった。彼にとって、クラスが同じだけの人間など、興味の対象にはなりえず、そしてその人間にどう思われようと、全く関係のない事だ。
「三上は無理じゃない?」
日ノ下冷次が無表情気味に言う。
「無理って、どういう意味で?」
「だって、三上は無関心だし。星夜なんて、眼中に入ってすらないって事でしょ。そんな相手とどうやって仲良くなるつもりなの?」
「どうにか注意を引いてみるとか」
「その方法をどうするんだ?」
「うーん・・・・・・」
悩む星夜を見て、冷次がため息をついた。この困った友人はいつでも無計画な気がする。
「そうだ、森山光流君に聞こうか」
「いいアイディアだ、と言いたいところだけど、意味無いと思うよ」
冷次がぼそぼそと突っ込む声は、星夜の耳には届かない。それを知っている冷次は、黙って教室を出た。何か飲み物を買おうと思ったのだ。恐らく、戻ってくる頃にはそれが必需品となっているからだ。
「あ、普川くん。どしたの?」
「ちょっと聞きたい事があってね」
にこにこと人懐こく笑う森山光流に、星夜はうっとりと目を向ける。綿繭伊吹はそれを察知して、光流を星夜から少しだけ遠ざけた。星夜はそれに気付いて苦笑した。
「三上君と仲良くなりたいんだけど、どうしたらいいのかと思ってさ」
「真人と?」
光流が首を傾げた。伊吹は、ひっそりと呆れ口の中だけで無駄だよと呟いた。
「わかんない」
「でも、森山君は三上君と仲がいいだろう?」
「気が付いたらずっと仲良しだったから、どうして仲良くなれたとか、あんまり考えてないんだよね。だからごめんねー」
申し訳なさそうに、光流が苦笑した。次の瞬間、その顔がぱっと笑顔に変わった。
「真人!」
「光流、どうしたの?」
優しい微笑み。それは、光流のみに向けられていた。
「普川くんが、真人と仲良くなりたいんだって」
「ふかわ?」
真人が首を傾げた。
「ふかわって、誰?」
「真人は相変わらず他の人の名前覚えるの苦手だね」
くすくす、と笑う光流。その会話が聞こえていた他の生徒の胸中は一致していた。
(二年以上も同じクラスじゃん)
この学園にはクラス替えという制度は存在しない。つまり、現在三年生であるという事は、同じクラスになって三年目という事を意味している。
「そんな事より、光流。今日は図書室に行くって言ってなかった?」
「あ、そうだった!」
「今から行けばまだ間に合うよ、行こう」
「うん」
光流はすっかり星夜からの頼み事を忘却し、真人と並んで歩き出した。口を挟む余地も無く残された星夜の肩を、冷次が軽く叩いた。その手には、お茶のペットボトルが二本。結局愚痴を聞くのは俺なんだよな、と冷次がひっそりと呟いた。
以上。
入学したばかりの頃、井上誠一にとって、岡本秋は苦手な人物だった。まず見た目が怖い。目立つ橙色の髪に、友好的な人間だと思うには少々きつい目つき。制服を着崩してアクセサリーを身に着ける姿は、いかにも不良生徒、といった感じだった。
昔から髪の色素だけが薄く、黒髪の集団の中では目立つ存在だった誠一はこういう『悪そうな』生徒に絡まれることがあり、自然と警戒してしまうのも無理のない事だった。そんないかにも『不良』っぽい生徒がこのクラスには何人かいたが、まさか隣になるなんて、と誠一は己の不運を嘆くしかなかった。安易に出席番号順で座席を決めるという入学当初によくある方式をこれほど恨んだのは初めてだった。秋はそんな誠一を知ってか知らずか、彼に関心を払う事は無かった。
誰かに話しかけようかとも思ったが、まだ入学したてで友人と呼べるような生徒はいない。小学校の頃の知人もいない。いたとしても、それほど良い思い出は無いのだが。
それに、他にも怖そうな生徒はいる。変に動き回って目をつけられるよりはいいか、とおとなしく自分の席に着いたまま、早く担任の先生が来てくれる事を願った。教師に関してもあまりいい記憶は無いのだが、少なくとも教師の前で暴れたり絡んできたりする事は無いだろうと考えていた。それ以上の期待はしていないし、できなかった。
しかし、最初こそ不安だったものの、暫くして友人もできた。担任の水城先生は温和で、どことなく安心できるような人物だったのもあるのかもしれない。それでも、誠一にとって秋は怖い人物であり、話しかける事は無かった。
そんなある日の事、おとなしい友人、野村竜胆と話していると(話すのは主に誠一で、口下手な竜胆は時々相槌を打っているだけだった)、ガタン、と大きな音が教室に響いた。
「テメェ、ふざけてんのか!」
髪を赤く染め上げた戸部信一が進藤一姫に掴みかかっていた。その周囲に、先程の音源であろう倒れた机が転がっていた。
「シン、んな奴相手にすんなよ」
中野優太は、あまり止める気の無いような声で一応そう口にした。本気で止めるつもりではないと知っているからか、信一は全く反応を返さない。
「っせぇな! 不良に不良って言って何が悪いんだよ!」
頭に血が上っているのか、一姫も退く気配は無い。喧嘩になると咄嗟に思い、竜胆に下がるようにと小さく言った。他の生徒も同じ事を思ったのか、二人と他の生徒の距離が開いていく。だが一人、二人に近づいた生徒がいた。嫌でも目立つ橙の髪。二人の視線も、自然とそちらに吸い寄せられた。
「あ? 何だよテメェ?」
「喧嘩をするならよそでやれよ」
静かな、落ち着いた声。誠一は少なからず驚いた。これまで、秋の声を真面目に聞いた事は無かったし、何よりこれだけ落ち着いた声を出せるとは思っていなかった。一姫も虚をつかれたような顔をしていたが、信一は怯まなかった。
「何か文句あるのかよ?」
「当たり前だろ。ここは学ぶ場であり、争いを持ち込むべき場所じゃない」
信一が、ぽかんと口を開けた。その一瞬後、大笑いした。
「お前、面白いな」
一言そう告げて、一姫の襟から手を離した。先程の剣幕が嘘のような快活な笑みを浮かべて、自分の座席へと戻った。秋も何事も無かったかのように、その場から離れた。誠一は何気なく視線を移動させると、ガタイのいい生徒と華奢な生徒の傍に行ったのがよくわかった。秋は彼らと二言三言交わし、それから、穏やかな笑みを浮かべた。それを見て誠一は絶句した。それはあまりに誠一のイメージしていた『岡本秋』像とはかけ離れていた。
その日から、誠一にとって秋は苦手な存在ではなくなった。
?普川くんと三上くん
普川星夜は、自他共に認めるナルシストだ。美しいものをこよなく愛し、その対象は物だろうが生物だろうが構わなかった。そんな彼が現在注目しているのが、三上真人だった。真人は星夜と違い大変閉鎖的な人間で、幼馴染の森山光流以外に興味はなく、交友も無い。もしこのクラスで『付き合いづらい人間は誰か』というアンケートをとれば、きっとぶっちぎりで一位に違いない。だが本人はそんな事は気にしていなかった。彼にとって、クラスが同じだけの人間など、興味の対象にはなりえず、そしてその人間にどう思われようと、全く関係のない事だ。
「三上は無理じゃない?」
日ノ下冷次が無表情気味に言う。
「無理って、どういう意味で?」
「だって、三上は無関心だし。星夜なんて、眼中に入ってすらないって事でしょ。そんな相手とどうやって仲良くなるつもりなの?」
「どうにか注意を引いてみるとか」
「その方法をどうするんだ?」
「うーん・・・・・・」
悩む星夜を見て、冷次がため息をついた。この困った友人はいつでも無計画な気がする。
「そうだ、森山光流君に聞こうか」
「いいアイディアだ、と言いたいところだけど、意味無いと思うよ」
冷次がぼそぼそと突っ込む声は、星夜の耳には届かない。それを知っている冷次は、黙って教室を出た。何か飲み物を買おうと思ったのだ。恐らく、戻ってくる頃にはそれが必需品となっているからだ。
「あ、普川くん。どしたの?」
「ちょっと聞きたい事があってね」
にこにこと人懐こく笑う森山光流に、星夜はうっとりと目を向ける。綿繭伊吹はそれを察知して、光流を星夜から少しだけ遠ざけた。星夜はそれに気付いて苦笑した。
「三上君と仲良くなりたいんだけど、どうしたらいいのかと思ってさ」
「真人と?」
光流が首を傾げた。伊吹は、ひっそりと呆れ口の中だけで無駄だよと呟いた。
「わかんない」
「でも、森山君は三上君と仲がいいだろう?」
「気が付いたらずっと仲良しだったから、どうして仲良くなれたとか、あんまり考えてないんだよね。だからごめんねー」
申し訳なさそうに、光流が苦笑した。次の瞬間、その顔がぱっと笑顔に変わった。
「真人!」
「光流、どうしたの?」
優しい微笑み。それは、光流のみに向けられていた。
「普川くんが、真人と仲良くなりたいんだって」
「ふかわ?」
真人が首を傾げた。
「ふかわって、誰?」
「真人は相変わらず他の人の名前覚えるの苦手だね」
くすくす、と笑う光流。その会話が聞こえていた他の生徒の胸中は一致していた。
(二年以上も同じクラスじゃん)
この学園にはクラス替えという制度は存在しない。つまり、現在三年生であるという事は、同じクラスになって三年目という事を意味している。
「そんな事より、光流。今日は図書室に行くって言ってなかった?」
「あ、そうだった!」
「今から行けばまだ間に合うよ、行こう」
「うん」
光流はすっかり星夜からの頼み事を忘却し、真人と並んで歩き出した。口を挟む余地も無く残された星夜の肩を、冷次が軽く叩いた。その手には、お茶のペットボトルが二本。結局愚痴を聞くのは俺なんだよな、と冷次がひっそりと呟いた。
以上。
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