『只今修行中につき』
2008年12月2日 文章 ハザード、というらしい子供の修行を付けてやって欲しいと神殿長に頼まれたのはつい先日の事。
「よし、今日はここまでにしようか」
「うん、じゃなくて、はい? あれ?」
ハザードは自分の中で混乱してしまったらしく、可愛らしい顔に微かに困惑の色を浮かべている。声はまだ高く幼く、この少年がもう十五歳だという事実は未だに信じられないでいる。
「別に『うん』でもいいよ。ここは神殿長以外の地位には優劣が無いし、年功序列の意識も薄いし」
「あう? ユー……レツ? ネン、コ……ウジョ、レツ?」
「あー、難しかったかな」
ハザードの境遇は聞いている。だから仕方のない事だけど、この子は世間知らずと言うより、圧倒的に知識が足りない。それも一緒に覚えていかないとならないのだから、大変だろう。俺も時々教えているが、本当に基本的なことを知らなかったりして、驚かされる事もある。
まあ、今はいいか。それよりも大事な事があるのだし。
「さ、昼食でも食べに行こうか」
「ちゅうしょく……お昼ごはん、だよね。はい、うん……ええと、うん!」
微かに笑ってくれたところを見ると、仲良くなる事には成功しているようだった。会ってそれ程経っていないのだけれど、随分と懐っこい子だ。目に見える表情の変化は少ないが、神殿長に言わせるとこれでもかなり表面に出すようになった方らしい。ちょっと人見知り気味の子供だと思えば可愛いものだ。
だが、その幼さから考えると意外な事にナイフ捌きはなかなか筋がいい。余計な知識もついていないからか、吸収も早い。どういうスタイルが合っているのかわからないので、とりあえずは俺と同じ双剣で教えているが、その内本人の希望を聞いてみた方がいいだろう。
「ハル?」
いつの間にか前を歩いていたハザードが振り向き、大きな赤い瞳が、真っ直ぐにこちらを向いた。ハザードはいつでも真っ直ぐだと、誰かが、いや、誰もが言っていたっけ。あ、ついでに思い出した。
「ブライトも誘っていいかな? 話したい事があるから」
「ブライトとご飯たべれる?」
「うん」
「わかった」
今の会話が繋がっていたのかは疑問だが、とりあえず了承を得られたのでよしという事にしておこう。訓練場の方に向かおうとした時、目的の人物の背中を見つけた。背が高いのでよく目立つ。
「ブライト、一緒に飯食わないか?」
「ん? いいぜ」
「ブライト、こんにちは」
「おう、こんにちは」
一見悪人にしか見えない(でも悔しい事に、男の俺から見てもかなり美形だ)ブライトが快活に笑う。顔立ちと表情のアンバランスさがどこか魅力的だった。
ブライトは一、二年前に神殿に来たのだが、何だかそれ以前からずっといたような気がするくらい、見事に馴染んでいる。怖そうな外見とは違い意外と面倒見がよく、気さくな性格で結構俺とは話が合うので、よく一緒に飯を食ったり武器談義をしたりしている。訓練中うっかり本気を出したり殺気を振りまいたり手加減を間違う事を除けば、相当いい奴だと思う。
「ハザード、ハルとは仲良くなったか?」
ブライトの突然の質問にハザードは小首を傾げて、俺を見た。
「なかよし?」
まだ付き合いが短いからか、その意図がよくわからない。これは、仲良し、という言葉がわからないのか、それとも俺と仲良しなのかわからない、と思っているのか。
「ハザードはね、ハルがハザードと仲良しだって思ってくれてるかなって言ってるんだよ」
よく通る笑い交じりの美声。振り向くと見慣れた人物がそこに立っていた。短い黒髪が微かに揺れ、深緑の瞳がくるりと輝いた。
「セイ!」
「ハザード、こんにちはー」
「こんにちはー」
セイはハザードと同い年で、歌人族の少年だ。ハザードと違い、見た目はかなり大人びている。精神年齢が近いからか、大変仲がいい。セイ曰く、「俺の方が少しだけお兄さん」らしいが。
「これから飯食いに行くんだけど、セイも行くか?」
「あれ? もうそんな時間だったっけ。行く行くー」
「セイもいっしょ?」
「うん、一緒に食べようね!」
「うん!」
ハザードは答えて、微笑した。もしかしたら、アレがハザードなりの満面の笑顔なのかもしれない。
思考している間にお子様二人はパタパタと前を跳ねる様に歩いていく。走らない辺り、一応自制してはいるのだろう。俺はブライトと並んで歩く事になる。少しばかり寂しい気もする。
「で、どうだ、ハザードの調子は?」
「筋がいいから、教え甲斐があるよ。始める前までは腕力が不安だったんだが、意外と腕力あるんだよな」
「ああ、意外とな」
小柄で幼い外見とは裏腹に、腕力はそれなりにあった。ナイフや短剣を長時間振り回せても問題ないくらいの体力もある。
「飲み込みも早いし、何より懸命にやってるから、こっちもやる気が出る」
「ああ、それはあるな」
「二人とも、はやくー!」
「はやくー」
ハザードはセイの真似をしている。その姿は微笑ましい。それから、ふと二人が何かに気付いた顔をした。それを見てから、俺も気付いて振り返る。
「こんにちは、四人とも」
にこり、と笑みを浮かべる人形のように整いすぎた顔。銀色の髪を軽く束ねている。
「神殿長、こんにちはっ!」
「イル、あのね、えっと、こんにちは」
「はい、こんにちは。みんなはこれからお昼ご飯かな?」
「そうです」
「そっか。みんな、午後は時間ある?」
「俺とハザードは大丈夫です」
「俺も平気っ!」
「全然問題ないです」
自分の訓練でもしようかと思ったが、神殿長に言われたら、その程度の予定は無いも同然だ。
「それじゃ、みんなでお勉強しようか。俺が教えるから」
「神殿長が?」
それはちょっと、というか、かなり嬉しいけれど、いいのだろうか。
「正確には、もう一人いるんだけどね」
「もう一人って、リィンですか?」
予想と言うより、確信。神殿長がにこにこと笑って肯定した。その笑顔を、少しだけ複雑な思いで眺めた。ブライトは特に気にした様子は無く、尋ねた。
「で、何を勉強するんですか?」
「図書館の効率的な利用法」
「利用法って、一応俺も少しくらいは利用してますけど」
「効率的な、利用法だよ」
くすくす、と笑って、神殿長が身を翻す。数歩進んで、振り返った。
「お昼ご飯を食べたら、図書館の前に集合だよ」
「はーい」
お子様達が元気な返事を口にする。満足そうに神殿長は微笑した。
「子供の内は、沢山勉強しないとダメだよ」
イタズラっぽく残して、立ち去っていった。あの人から見たら、俺らもまだまだ子供って事だろうか。
苦笑していると、ハザードが首をかしげた。
「みんなも、しゅぎょうちゅう?」
「そうなるかな」
俺もブライトもセイもハザードも、あの人の隣に並ぶまではまだまだ未熟なようだった。
<おわり>
あとがき
『後悔』にて、名前だけ出てきたハル視点。ブライトとの差がうまく出せなかった……。
「よし、今日はここまでにしようか」
「うん、じゃなくて、はい? あれ?」
ハザードは自分の中で混乱してしまったらしく、可愛らしい顔に微かに困惑の色を浮かべている。声はまだ高く幼く、この少年がもう十五歳だという事実は未だに信じられないでいる。
「別に『うん』でもいいよ。ここは神殿長以外の地位には優劣が無いし、年功序列の意識も薄いし」
「あう? ユー……レツ? ネン、コ……ウジョ、レツ?」
「あー、難しかったかな」
ハザードの境遇は聞いている。だから仕方のない事だけど、この子は世間知らずと言うより、圧倒的に知識が足りない。それも一緒に覚えていかないとならないのだから、大変だろう。俺も時々教えているが、本当に基本的なことを知らなかったりして、驚かされる事もある。
まあ、今はいいか。それよりも大事な事があるのだし。
「さ、昼食でも食べに行こうか」
「ちゅうしょく……お昼ごはん、だよね。はい、うん……ええと、うん!」
微かに笑ってくれたところを見ると、仲良くなる事には成功しているようだった。会ってそれ程経っていないのだけれど、随分と懐っこい子だ。目に見える表情の変化は少ないが、神殿長に言わせるとこれでもかなり表面に出すようになった方らしい。ちょっと人見知り気味の子供だと思えば可愛いものだ。
だが、その幼さから考えると意外な事にナイフ捌きはなかなか筋がいい。余計な知識もついていないからか、吸収も早い。どういうスタイルが合っているのかわからないので、とりあえずは俺と同じ双剣で教えているが、その内本人の希望を聞いてみた方がいいだろう。
「ハル?」
いつの間にか前を歩いていたハザードが振り向き、大きな赤い瞳が、真っ直ぐにこちらを向いた。ハザードはいつでも真っ直ぐだと、誰かが、いや、誰もが言っていたっけ。あ、ついでに思い出した。
「ブライトも誘っていいかな? 話したい事があるから」
「ブライトとご飯たべれる?」
「うん」
「わかった」
今の会話が繋がっていたのかは疑問だが、とりあえず了承を得られたのでよしという事にしておこう。訓練場の方に向かおうとした時、目的の人物の背中を見つけた。背が高いのでよく目立つ。
「ブライト、一緒に飯食わないか?」
「ん? いいぜ」
「ブライト、こんにちは」
「おう、こんにちは」
一見悪人にしか見えない(でも悔しい事に、男の俺から見てもかなり美形だ)ブライトが快活に笑う。顔立ちと表情のアンバランスさがどこか魅力的だった。
ブライトは一、二年前に神殿に来たのだが、何だかそれ以前からずっといたような気がするくらい、見事に馴染んでいる。怖そうな外見とは違い意外と面倒見がよく、気さくな性格で結構俺とは話が合うので、よく一緒に飯を食ったり武器談義をしたりしている。訓練中うっかり本気を出したり殺気を振りまいたり手加減を間違う事を除けば、相当いい奴だと思う。
「ハザード、ハルとは仲良くなったか?」
ブライトの突然の質問にハザードは小首を傾げて、俺を見た。
「なかよし?」
まだ付き合いが短いからか、その意図がよくわからない。これは、仲良し、という言葉がわからないのか、それとも俺と仲良しなのかわからない、と思っているのか。
「ハザードはね、ハルがハザードと仲良しだって思ってくれてるかなって言ってるんだよ」
よく通る笑い交じりの美声。振り向くと見慣れた人物がそこに立っていた。短い黒髪が微かに揺れ、深緑の瞳がくるりと輝いた。
「セイ!」
「ハザード、こんにちはー」
「こんにちはー」
セイはハザードと同い年で、歌人族の少年だ。ハザードと違い、見た目はかなり大人びている。精神年齢が近いからか、大変仲がいい。セイ曰く、「俺の方が少しだけお兄さん」らしいが。
「これから飯食いに行くんだけど、セイも行くか?」
「あれ? もうそんな時間だったっけ。行く行くー」
「セイもいっしょ?」
「うん、一緒に食べようね!」
「うん!」
ハザードは答えて、微笑した。もしかしたら、アレがハザードなりの満面の笑顔なのかもしれない。
思考している間にお子様二人はパタパタと前を跳ねる様に歩いていく。走らない辺り、一応自制してはいるのだろう。俺はブライトと並んで歩く事になる。少しばかり寂しい気もする。
「で、どうだ、ハザードの調子は?」
「筋がいいから、教え甲斐があるよ。始める前までは腕力が不安だったんだが、意外と腕力あるんだよな」
「ああ、意外とな」
小柄で幼い外見とは裏腹に、腕力はそれなりにあった。ナイフや短剣を長時間振り回せても問題ないくらいの体力もある。
「飲み込みも早いし、何より懸命にやってるから、こっちもやる気が出る」
「ああ、それはあるな」
「二人とも、はやくー!」
「はやくー」
ハザードはセイの真似をしている。その姿は微笑ましい。それから、ふと二人が何かに気付いた顔をした。それを見てから、俺も気付いて振り返る。
「こんにちは、四人とも」
にこり、と笑みを浮かべる人形のように整いすぎた顔。銀色の髪を軽く束ねている。
「神殿長、こんにちはっ!」
「イル、あのね、えっと、こんにちは」
「はい、こんにちは。みんなはこれからお昼ご飯かな?」
「そうです」
「そっか。みんな、午後は時間ある?」
「俺とハザードは大丈夫です」
「俺も平気っ!」
「全然問題ないです」
自分の訓練でもしようかと思ったが、神殿長に言われたら、その程度の予定は無いも同然だ。
「それじゃ、みんなでお勉強しようか。俺が教えるから」
「神殿長が?」
それはちょっと、というか、かなり嬉しいけれど、いいのだろうか。
「正確には、もう一人いるんだけどね」
「もう一人って、リィンですか?」
予想と言うより、確信。神殿長がにこにこと笑って肯定した。その笑顔を、少しだけ複雑な思いで眺めた。ブライトは特に気にした様子は無く、尋ねた。
「で、何を勉強するんですか?」
「図書館の効率的な利用法」
「利用法って、一応俺も少しくらいは利用してますけど」
「効率的な、利用法だよ」
くすくす、と笑って、神殿長が身を翻す。数歩進んで、振り返った。
「お昼ご飯を食べたら、図書館の前に集合だよ」
「はーい」
お子様達が元気な返事を口にする。満足そうに神殿長は微笑した。
「子供の内は、沢山勉強しないとダメだよ」
イタズラっぽく残して、立ち去っていった。あの人から見たら、俺らもまだまだ子供って事だろうか。
苦笑していると、ハザードが首をかしげた。
「みんなも、しゅぎょうちゅう?」
「そうなるかな」
俺もブライトもセイもハザードも、あの人の隣に並ぶまではまだまだ未熟なようだった。
<おわり>
あとがき
『後悔』にて、名前だけ出てきたハル視点。ブライトとの差がうまく出せなかった……。
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