1.ある兄貴的な剣士の話


 少々目立つ人物が本棚を見上げていた。遠めに見ても体格の良さがわかる。あの身長は少し羨ましい。あれだけあったら、梯子を使わなくても配架できる範囲が広がるだろう。彼は割りと最近入ったばかりの人で、図書館は時折利用するくらい、更に貸し出しはせずにその場で読みきるので、手続きをした事が無い。ゆえに、彼の名前はまだ知らない。彼は戦士系だから、元々あまり関わりをもたないものなんだけど。
「この本、元の位置に戻しておいてくれ」
「ああ、わかった」
 受け取った本のタイトルを見て、どの棚に置いていたか記憶を辿った。たしか、入り口から数えて三つ目の棚の、上の方に配架されていた本だ。大きめの梯子を使わないと届かない。脚立じゃ届かない範囲だ。正直に言って、少々怖い。だが、本の為だ。
 端の方に立てかけてあった、結構重い梯子を抱えて、目的の棚を目指す。立てかけてみて、少々均衡が取りがたい事に気が付いた。ちょっと怖い。梯子自体は丈夫なのだけど、自分の運動神経には自信がない。
「……よし」
 気合を入れて、少しずつ上る。五段目くらいで、早くも怖くなってきた。脚立が届くところなら、まだ安心できるのに。
「……何やってるんだ?」
「――!」
 突然声をかけられ、驚きのあまりバランスを崩した。それでも大声をあげなかったのは図書館だからというよりは、あまりにも驚きすぎたからだろう。
 後ろに倒れた、と思ったら、がっしりと受け止められた。
「悪い悪い。大丈夫か?」
 先ほど見た戦士に受け止められたらしい、という事はわかった。近くで見ると、美形だが悪人のような顔をしている。いや、それより、大事なことがある。
「……よし、本は無事だ」
「そっち優先かよ。流石っつーかな……」
 苦笑されて、次の瞬間地に足が着く。持ち上げられていたようだった。何という膂力だ。
「その本、上に持っていくつもりだったのか?」
「あ、ああ」
「それじゃ、俺が行ってやろうか?」
「え?」
「あの、一冊分空いたとこに入れりゃいいんだろ?」
 彼が示した先を、目を凝らして見てみる。位置は大体正確なようだった。
「いや、でも、結構危険だと思うが……」
「問題ねぇよ。お前の方が危険そうだ」
 返す言葉も無い。さっきので結構吃驚してしまったので、もう一度いく勇気はない。お言葉に甘える事にした。
「くれぐれも、本を丁重に」
「わかってるよ」
 右手にしっかり本を持って、梯子の位置を調節。それから、軽々と上り始めた。呆然と眺めている間に、それなりの高所に進んでいく。その姿には恐怖などは微塵も見当たらない。
 所定の位置で止まって、本を棚に戻した。それも、両手を使って。つまりは、両手を梯子から離した状態というわけだ。見ているこっちが混乱してしまう。
 俺の困惑など知る由も無く、彼は任務を完了し、戻ってきた。その姿にも、やはり恐怖は全く見当たらなかった。殆ど見惚れるように、少しずつ大うきくなる後姿を眺めた。彼は殆ど音を立てることも無く、地に足をつけた。
「あ、ありがとう、助かったよ」
「いやいや。驚かせたお詫びみたいなもんだし」
 彼は悪人のような顔で快活に笑った。不均衡なその表情は、どこか人を惹きつけそうな印象だった。彼は梯子を軽々と抱えて、端の方へ歩いていく。俺はなんとなくついていってしまった。目立たぬところに梯子を立てかける彼に、もう一度礼を言う。
「いいって。適材適所って言葉があるだろ? 図書館ならたまに使ってるし、間接的には世話になってるからな」
 何というか、いい人だ。ちょっと感動したので名乗り、ついでに名前を聞いてきた。
「ブライトだ」
 彼はそう言って、快活に笑った。



2.ある不機嫌な常連の話


 台に、重厚な本が六冊程積まれた。視線を移動させると、空より強い青の瞳がそこにあった。少し視線を引いてみると、顔全体は不機嫌そうに見える。この常連はいつもこんな顔をしている。
「これを頼む」
「期間は?」
「三日。明後日には返すと思うが」
 言葉を聞いてから、今一度本の山を眺める。普通なら、二日や三日で読む量ではない。だが、こいつはそのくらいやる男だし、神殿には結構そういう人間もいたりする。俺も人の事は言えないし。
 手続きをしようとして、一つ思い出した。
「そういえば、神殿長からお前宛に本を預かってる。それも持ってくか?」
「ああ」
 どうせ来るだろうと踏んでいたので、本の包みはすぐに取り出せる位置に置いてあった。手渡すと、奴はすぐに開けた。いや、別にいいんだけど。
 少し気になって、手元を覗いてみる。本の題名を見て、思わず声を上げそうになった。
「へぇ、よく手に入ったな」
 リィンが珍しく感心したような声を上げた。それも無理はないだろう。
「いいなぁ、それ、確か初版は五十冊しか発行されなかったんだよな」
「ああ。だが、その初版にしか四話目が掲載されていない」
 今ではどれだけが現存しているのかわからない。そのくらい貴重な本だった。俺でも読んだ事がない。
「……読んでみるか?」
「っいいのか?」
 思わず大声を出しそうになったが、堪えた。
「俺が読み終わってからなら貸してやる。何かと世話になってるから、というわけではないが」
 それはわかる。こいつの性格上ありえない。
「だが、本好きとしての心境はわかるからな」
 淡々とした言葉に、そっか、とだけ返す。それ以上に言葉がすぐに出てこなかった。
 胸が一杯で、それでも、どうにか言葉を捜した。
「ありがとうな、リィン」
 不機嫌そうな常連客は礼を言われる事でもないと相変わらず不機嫌そうに告げた。



おわり



リィンがメインの筈が、ブライトのほうが目立ってしまった罠。図書館ネタで、近いうちに普通の短編も一本書きます。

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